歯科衛生士の歴史を知るには、米国での誕生を語らずには始まりません。

始まりは、1913年に米国でDental hygienistとして生まれ、1915年(大正4年)に米国の雑誌に活動の報告では”口腔衛生員”として紹介しています。その後、米国の海外情報記事が日本に紹介され、川上為次郎と言う雑誌記者(下記添付左写真)は、Dental hygienistを「歯科衛生手」と訳しています。

また、その後、岡田満と言う人が1919年(大正8年)に、Dental hygienistからOral hygienist(口腔衛生手)として紹介しました。そして、1921年には「歯科衛生婦」に変わり、続いて、日本に「歯科衛生婦」の名称で輸入され、ライオン児童歯科医院で養成を始めたのが、日本での誕生のようです。

その後、第2次世界大戦のあと、連合軍総司令部(GHQ)の指示によってつくられた”歯科教育審議会”のまとめた”歯科教育審議会報告書”の中では、Oral hygienistに準ずる「歯科衛生婦」という言葉が使われていました。さまざまな語訳があった中で、1948年(昭和23年)に歯科衛生士法が制定されたときに「歯科衛生士」に統一され、今に至っているようです。

ところが、その後1回だけ「歯科衛生婦」が登場しています。1955年(昭和30年)に歯科衛生士法の一部改正が提案されたとき、政府原案では、このとき”女子に限る”ように限定したことから「歯科衛生婦」が相応しいとして提案されましたが、歯科衛生士学校の生徒たちが反対し、全国歯科学生協議会や東京医科歯科大学の自治体が街頭で著名運動(下記添付右写真)をしたりして、国会に陳情したことで、「歯科衛生士」として今もなお生きているようです。

国会に陳情した文書によると、名称については「婦」ではなく「士」にと訴えています。その理由の一つに、職がもたらす真の使命(本来の業務)はあく迄も口腔衛生向上に寄与することであると明言しています。

また、「歯科衛生婦」という名称は歯科に従事する看護婦と誤解されやすく口腔衛生の一領域を担当する一種の専門家であるという立場が忘れられ、介補としての業務のみ強調される憂いがあるとも書いてあります。

また、政府案では夫人の職業であるから婦をつけると言う考え方は一見問題ないと思われがちですが、実は、様々な問題を含んでおり、歯科衛生士発展の大きな妨げとなると書かれています。ちなみに、この時代に先見性の持った歯科衛生士が日本の中核に居たことを、私は誇りに思います。

1955年(昭和30年)に歯科衛生士法の一部改正は、これまでの業務内容に口腔衛生の分野、例えば、歯石除去に依る歯槽膿漏の予防等に限定していたのが、歯科医師の介補としての業務が付け加えられ、歯科衛生士の業務分野が拡大されています。

後に、全国各地に歯科衛生士養成所が増加しながら、現在の臨床中心の就業実態になったのです。

( 参考資料 : 「歯科衛生士史記」 著者 榊原悠紀田郎 より )

 

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